母の誕生日に何かプレゼントをしようと2歳上の姉と、街で唯一かもしれない雑貨屋(格好良く言えばギフトショップ)に行ったのが、たしか小学生一年生の頃。
そして二人で小遣いを出しあって買った母へのプレゼントが指輪でした。
といってもそれは、おもちゃの指輪。
今では、どのようにプレゼントしたのか、また母がどんな風に受け取ってくれたのか?そんなことも思い出せない遠い昔のことです。
それから僕自身そのようにお祝いをしてあげたことを、その後一度も思い出すことなく、すっかり忘れたまま40歳を超えたころでした。
田舎の親戚のおばさんの葬儀で故郷に帰ったときのことです。
通夜の夜、集まっていた親戚の人たちのほとんども帰り、接待をしていた母もやっと一段落と叔母宅の台所の椅子に座っている時、母の指にはめられた指輪に目がとまりました。
「母ちゃん、それどうしたが? そんなん、持っちょった?」
「何言うがない、お前と姉ちゃんが誕生日にこうてくれたやつやないかい」
「えっ?」「そうやったっけ?」
結局、次の日は葬儀で慌しかったこともあり、指輪のことはそれ以上母と話すことはありませんでした。
数日後、どうにも合点がいかない僕は、姉に電話してやっと冒頭のプレゼントことを思い出すことができたのです。
姉によれば、母はそれからその指輪を一度も外したことがないそうです。
乳がんで手術をした時も、その後のリハビリの時もそうだったし、ずっと付けていたと・・・。
母は、農家の嫁として一年中泥にまみれ、いつも地下足袋にもんぺ姿でした。
化粧などはもちろんのこと女性として何かを身につけておしゃれをする機会は皆無だったと思います。
そんな母が、その指輪は亡くなる直前まで大事に身に付けてくれていました。
まさに「親思う 心に勝る 親ごころ・・・」です。
母の指は、長い間の農作業のせいかお世辞にもかわいい指ではなくなっています。
その時も「もう抜けんのよ」と笑っていました。
小学生の頃の僕たち姉弟が買ったのだろうから、おそらく何百円の指輪です。
物としては何の値打ちもなしいでしょうが、母には違っていたのです。
生前故郷に帰るたび、色はあせただの輪っかのようになった指輪をいつもはめてくれている母を見るたびに、僕と姉の心をこんなにも大事にしてくれている母に子供ながらに感動と感謝の想いをしていました。
4年前の冬89歳で他界した母を、今日母の日に思い出しあらためて感謝の想いを抱きながら、仕事でも心ここにあらずの単なる作業ではなく、心のこもった「サービス」を提供していこうと思う次第です。